2008/3/8 中国大使館前でチベットの人権改善を訴えました

大使館前プロテスト


appeal001.JPG

北京でオリンピックが開催される2008年を迎え、1959年3月10日のチベット民族蜂起から49年を前に、SFT(スチューデント・フォー・フリー・チベット)日本が呼びかけた中国政府へのプロテストアクション(異議申し立て)が3月8日、東京・元麻布の中華人民共和国大使館前で行われました。チベット問題を訴える中国大使館への抗議はこれまで、日本人が行ったことはありますが、チベット人自身が声を上げるのは日本では初めてのことになります。

日本在住のチベット人と家族約10人、SFTメンバーの日本人や外国人約10人が集まりました。チベット人たちは、警察官の指示に従って大使館正門前の歩道に並び、チベット国旗とスローガンを書き込んで準備した横断幕を掲げ、チベット国歌を高らかに歌いました。

行動のもつ意味


20人足らずという人数は少ないように思われるかもしれません。しかし、背景にあるチベット難民の置かれた状況を思うと、「20人が立ちあがった」ことの大きさを知ってもらえると思います。

チベットを離れ亡命者として生活するチベット人の多くは、親兄弟や親戚、友人、恩師、恋人など、かけがえのない人たちがチベット本土に生活しています。チベット本土では、親戚や知人が海外にいるというだけで、中国当局から「不安分子」つまり「チベット独立に共感する思想を持つ可能性が高い犯罪者予備軍」として扱われ、就職や進学などの際に常に思想チェックにかけられます。夜中に警察官が突然踏み込んで持ち物や本棚を調べ、インドや日本から送られた仏教に関する本があったというだけで厳しく尋問を受けるなどということも日常的に起きているのです。

自由の国であるはずの日本で生活するチベット人も、親や親戚を中国政府に人質にとられている状態には変わりなく、それどころか、ダライラマ法王の来日法話やチベット独立を訴える有名な活動家の来日講演などにも「中国のスパイも来て写真を撮っているはず」とおびえながら参加しているチベット人が多いのです。「怯える」のは、自分の境遇についてではありません。自分ひとりが自由を満喫したために、故郷の両親やきょうだい、親戚が取調べをうけて仕事を失ったり僧院を追放されたりするような悲劇が起きては……。家族思いのチベット人は誰もがそう怯えています。

そのチベット人が、それでも声を上げようと思った、という行動の重さを分かっていただければと思います。

appeal002.JPG

5人が交代で叫びました


appeal003.JPG

チベットの民族衣装を身に着けたり、チベット国旗を意匠にした帽子をかぶったりしたチベット人参加者は、5人ずつ順番に交代しながら正門前で声を上げました。

抗議活動では、中国政府への要求として、信教の自由やいわゆる「良心の囚人」の釈放など4項目を求め、要請書が提出されました。要請書は「中国政府は五輪招致にあたり人権状況の改善を公約したにもかかわらず、現状はむしろ悪化している」と指摘。パンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年の釈放▽宗教上信仰上の発言などを理由に拘束されている思想犯の釈放▽宗教への介入や思想弾圧の停止――などを求めています。

土曜で閉庁日ということもあり、中国大使館は関係者の乗った車数台が出入りするだけでしたが、いずれも、抗議活動に対し何も反応を示さずに通り過ぎました。最後に、ツェリン・ドルジェ代表が要請書を大使館ポストに投函しました。

活動中は、土曜日で閉庁中の大使館内からは何の反応もなかった一方で、警備の警察官に伴われて来た中年の男性が道路の反対側からこちらをじっと見つめ、横断幕を掲げたチベット人だけでなく、十数メートル離れた待機場所でプロテストアクションを見守った日本人サポーターや子供たちにも、首からさげたデジカメを向けて写真を撮っていました。

参加者は「あれは大使館関係者に違いない」と不安げに話し合いました。

appeal004.JPG

動画はこちら


YouTubeに動画がアップされているよと教えていただいたので、こちらに。

2008年4月 聖火リレー日本通過


SFTでは、北京オリンピックをチベット問題を訴える大きな契機と考え、聖火リレーが各国を通過する際にアクションを起こす世界的キャンペーンを実施します。聖火リレーが日本を通過するのは、2008年4月26日。非暴力、平和、合法的な手段で、チベット問題を世論に訴えたいと考えます。