チベット・インディペンデンス2015

チベット・インディペンデンス2015 —CELEBRATE THE SNOW LION FLAG

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■チベット・インディペンデンスとは

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「我々チベットは小さな独立宗教国家である」――1913年チベット暦正月(西暦2月)、ダライ・ラマ13世はチベット人に対して独立国家の国民としての自覚を促す布告を発しました。チベットが近代国際社会のなかで国民国家への一歩を踏み出した100年前の歴史的事実をたたえ、世界各地のチベット人は2013年から、2月13日を独立チベットを祝う日とする民間のキャンペーン「チベット・インディペンデンス」を展開しています。

3年目となる2015年のテーマは「国旗」。チベット政府のシンボルでありチベットの象徴である雪山獅子旗について、改めて知ってください。


■チベット・フラッグ・アクション

2月13日の「チベット・インディペンデンス・デイ」に際し、世界各国のSFTは雪山獅子旗にスポットライトを当てる活動をしています。

参加は簡単です。

チベットの人々の自由へのたたかいを象徴するこの旗を、さまざまな場所で、それぞれ自由きままに掲げましょう。この旗が世界中で有名になることが、チベットの人々のたたかいを助け、自由なチベットの未来を形作ることになるのです。

  1. さまざまな場所で、自由な発想で、この旗を掲げた写真を撮ってください
  2. #TibetFlagChallengeというハッシュタグをつけて、SNSでシェアしてください。

※国旗を大きくプリントアウトしたい方は、こちらをご利用ください。また、セブンイレブンのネットプリント(予約番号94567419)もご利用できます。(A3サイズカラー)

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■チベット国旗のデザインと意味

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所サイト「チベットの国旗・国歌」より)

frag1.gif 中央の白い三角形は雪山を表し、「雪山に囲まれた地」(カンジョン)として知られるチベットの国を象徴している。太陽は、チベットの民が自由を平等に享受し、精神的、世俗的な繁栄を手にすることを象徴している。
frag2.gif 6本の赤い光線は、チベット民族の起源となった、6つの氏族(ミュドゥンテゥク)を象徴している。赤と濃い青の光線が並んでいるのは、チベットの2つの守護神の堅い決意により、国の精神的、ならびに世俗的な伝統が護られていることを象徴している。ネチュン守護神は赤、シュリ・デビ守護神は黒で表される。
frag3.gif 1対のスノー・ライオンの勇ましい姿は、チベットの精神的および世俗的な方策が完全な勝利をおさめることを象徴している。
frag4.gif スノーライオンが支えている3つの輝く宝石は、チベットの民にとって精神的な拠り所となる3つの源に対する尊敬の念を象徴している。この3つの源とは具体的には仏教の三宝、すなわちブッダ、その教えである法(ダルマ)、そして僧侶(サンガ)を意味する。
frag5.gif スノーライオンが持つ、円形の二つ巴ないし太極図に似た文様は、十善業法と十六浄人法による自律を象徴している。
flagimages.jpg 周囲の黄色い縁取りは、仏教がすべての場所で永遠に栄えることを象徴し,縁取りのない一箇所は、仏教以外の教えや思想にもオープンであることを示している。

■禁じられた旗――雪山獅子旗

チベットの歴史と誇りのシンボルにもかかわらず、チベットでは掲げることができない旗――それが雪山獅子旗です。
中国共産党は、雪山獅子旗を「国家分裂主義者のしるし」として所持や掲揚を禁じています。旅行鞄に旗やバッジを入れていた外国人旅行者が退去処分になったケースや、旗を持っていたことが「海外の組織とつながりがある証拠」とされたチベット人のケースが知られています。

チベット国旗と日本人

■雪山獅子旗の歴史

チベット国旗に描かれた雪獅子(スノーライオン)のモチーフは、ソンツェン・ガンポ王が統治していた古代チベット(吐蕃王国)の時代、紀元6世紀にさかのぼります。

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(古代チベット時代のデザインとされる図=Wikipediaより)

中央アジア最大の帝国であった古代チベットは286万人の軍隊を擁し、各部隊ごとに異なる軍旗を用いていました。向かい合った1対の雪獅子、直立した1頭の雪獅子、空に跳躍する雪獅子など。雪獅子をチベットのシンボルとして軍旗に用いる伝統はその後も脈々と受け継がれ、国民国家成立を目指したダライ・ラマ13世は軍旗のデザインを統一、軍に関わるすべての組織で使用するよう定めたのです。


■日本人とチベット国旗

矢島保治郎

チベットが近代独立国家への道を模索していた1910年代、チベットのラサには日本人が3人滞在していました。
このうちの1人、矢島保治郎は生前の手記などによると、1913年(大正2年)の元日をラサで迎え、滞在する建物の屋上に高々と日章旗を掲げました。
翻る日章旗に人だかりができ、「これがロシアと戦って勝った日本の国の旗だ」という説明を聞いて感嘆したり、夜になってチベットの役人が矢島宅を訪れ、勝手に旗を掲げた行為をとがめたりしたといいます。

明治四十六年一月一日*、日章旗は天下秘密国の首府ラサの微風に翻った。市民達は何事かとこの旗を見に集まり、得意然とした宿主の主人は食事も忘れて説明に大忙がしである。
(矢島保治郎「入藏日誌」チベット文化研究所、1983)

*明治天皇は1912(明治45)年7月30日に崩御し、元号は大正に変わっていたが、チベット滞在中の矢島保治郎はこのことを知らず、明治46年と記している。実際は大正2(1913)年1月1日

日没になって国旗を納めると、役人が二人酒気を帯びてやってきて、「屋上の旗は何だ…」と宿主を詰問した。…保治郎は…日本語で「馬鹿者ッ」と大喝し、それから声を和らげて説明してやった。「本日屋上に掲げたのは大日本帝国の国旗である。我ら日本国民は世界のどこにいても三大節には国旗を掲げて祝意を表する習慣である」…
(浅田晃彦「世界無銭旅行者 矢島保治郎」筑摩書房、1986)

伝記によれば、矢島保治郎は訪れた役人に「これは大日本帝国を象徴する旗であり、貴官らがダライ・ラマ法王を尊敬するのと同じ敬意を持って取り扱わねばならない」と高説。ポタラ宮の大臣に見せるため一晩借用したいとの申し出を「私は外国にいる時はこの旗と生死を共にしている」とはねつけ、翌日になって再度訪れた役人に数時間だけ貸し出したといいます。
1913年当時、チベットの一般庶民には国旗が珍しいものだったこと、一方、役人の間では国旗の意味や重要性が知られており、チベット内で他国の国旗が勝手に掲げられることが問題視されたのだろう、ということがうかがえるエピソードです。伝記では「これがきっかけとなってダライ・ラマ13世はチベットの国旗を制定した」としています。
チベット側史料の記載は不明ですが、伝記の通りであれば、ポタラ宮の会議室でチベットの大臣たちが矢島保治郎の日章旗を広げ、国旗についてあれこれ検討した姿が想像されます。

青木文教

もう1人の日本人、青木文教は帰国後の手記で、さらに具体的にチベット国旗について書き記し、「自身のデザインが基になった」としています。

其の模様は下半部に富士山形の雪山を描き、唐獅子の図を配し、上半部すなわち雪山の上には地色を黄色くして日本の軍旗の半分を写し取ったような旭日を置き、其の片隅に月を小さく銀色に描いてある、これらの日、月、雪山及び唐獅子は西蔵の記号で、司令官と予が戯れに図案を作ってみた紙切れがはからず法王の目に止まり、当分これを軍旗に採用せられることになったのである
(青木文教「秘密之国 西蔵遊記」内外出版、1920)

描写された雪山獅子旗は「片隅に小さい銀色の月」などが異なるものの、現在のデザインと非常に似ています。手記は「更に改定する筈」としており、素案になった可能性は高いと思われます。
青木文教は、雪山獅子旗の表す意味についても記しています。

チベットの記号として唐獅子を用ふるのは、チベットは仏の予言に基づいて建国せられた仏教国であるから、仏の『十方獅子吼』にちなんで国威を発揚する意を示したるものに外ならぬ…日月を描くのは仏の光明あまねく世界を覆うて衆生を摂取する光益の作用をかりに日月にたとえたものである、また雪山の記号は実にチベット独特のシムボルとするに最も適切なるもの
(同)

チベット国旗に描かれた様々なシンボルを、当時の日本人は正しく理解し書き残していました。

■チベット人にとってのチベット国旗

チベット人にとって雪山獅子旗はどのような意味を持つのでしょうか。
SFT Japan代表のツェリン・ドルジェさんが紹介します。

ツェリン・ドルジェ 私は難民となってチベットを逃れた両親から生まれインドで育ち、チベットをみたことがないチベット人です。雪山獅子旗は難民学校の公式行事やダライ・ラマ法王の誕生日を祝う時などに必ず掲げられました。

――国旗について誰からいつ教わりますか。

小学6年の授業でチベット国旗の意味を勉強します。「中央はチベットの白い雪山、6本の光は民族の起源……」と、旗のデザインが象徴するものをすべて間違いなく言えるように暗記するのです。これはとても厳しい勉強で、テストもあるし、クラス全員が間違いなく言えるようになるまで先生は許してくれません。30年近く経った今でも暗誦できるほどです。

――家で国旗を揚げることはありましたか。

私が子どもの頃、国旗はとても高価な貴重品で、難民の一般家庭にはありませんでした。当時は1枚1枚布に刺繍して作っていたのです。最近になってプリント染色で安く綺麗な旗が作れるようになり、今はどの家も国旗を持っていると思います。

――雪山獅子旗は複雑なデザインですが、チベット人は皆そらで描けるのでしょうか。

無理です。描けないです。センゲ(雪獅子)が難しいです。

――適当にごまかして描いてはいけないんですね。

デザインの一つ一つに重要な意味があり、いいかげんに描いて間違えてはいけないものである、とチベット人は教えられています。刺繍で手作りしていたころは、間違った国旗がたくさん出回りました。センゲの手元が宝石から離れてしまっていたり、光線の数が違っていたり。間違った国旗は政府が注意して取り替えさせていました。今は、亡命政府の旗を見本にして複製が作られるので間違いもだいぶ減りました。

では、チベットで生まれ育ったチベット人は、チベットの国旗をどのようにして知り、どのような思いを持っているのでしょうか。チベット出身のチベット人にうかがいました。

私はチベットで生まれ育ち、中国政府の教育を受け、成人してから来日しました。

――初めてチベット国旗を見たのはいつですか。

中学時代、町なかの壁に張られているのを見たのが最初です。当時は北京などで民主化デモ(のちに天安門事件となる)が起きていた時代で、チベットの私の町でも、民族の自由や民主化、政府の腐敗根絶を訴える人たちが活動していました。あるとき、スローガンとともに町の中心部のあちこちの壁に張り出され、皆が取り囲んで眺めていました。

――見たときはどう思いましたか。

へえそうか、というくらいで特に何も思いませんでしたが、町の職員が急いで剥がして回っているのを見て、ああこれは張ってはいけないものなんだな、人目に触れてはいけないものなんだなと感じました。

――貼った人が逮捕されたり、学校で政治思想教育があったりはしましたか。

その時はありませんでした。誰が貼ったのか知っているか、という犯人捜しはあったようですが、見つからなかったようです。学校での政治教育もありませんでした。
その後、国旗についておおっぴらに話題にすることはありませんでしたが、先輩の高校生たちと食事をしたり、合宿のような形で先生や同級生と一晩過ごしたりした機会に、国旗について話すことがありました。熱く語りあうんですよ。先輩たちはチベットの旗のデザインが象徴するもの、意味する内容を全部知っていて、その重要性を話していました。チベット国旗には、仏教の教えや民族の成り立ち、チベット人がどうあるべきかのすべてが表現されていることを話し、「チベット国旗は政治的に重要なのではなく、文化的に重要なのだ」と語り合ったことを覚えています。
その後日本に来てから、自由にさまざまな知識や情報に触れ、チベット国旗についてもチベットの歴史についても学びました。自分自身も、チベット国旗はチベット人にとって、文化的にこそ重要な意味をもつものだと思います。政治的な意味が強調されすぎていると思います。

――中国政府に分離独立主義者の証拠だとして弾圧されることも、チベットを支持する人たちに単なる独立の象徴として掲げられることにも違和感があるんですね。もっと、旗が表現する思想やデザインに込められた意味を重視すべきだということですね。

そうです。

世界中のチベット人の思いを込めた「チベット・インディペンデンス2015」キャンペーンに、ご協力どうぞよろしくお願いいたします。